土佐山には、 おいしい食材を届けたい、美しい産品を届けたい、
という村人たちの想いから生まれる、自慢の特産がたくさんあります。
『本物の自然素材を生かした空間づくり』細木茂
2024 .09 .01
オーベルジュ土佐山は、2018年7月に開業20周年を迎えました。土佐杉・桧、土佐漆喰、土佐和紙と、この地で生まれた自然素材を生かし、20年の時を経てもなお趣のある空間は、建築家・細木茂氏の設計によるものです。オーベルジュ土佐山誕生*1 までの歩みと、改めて現在の思いをお聞きしました。
*1 地域の過疎化・高齢化に対する危機感から「何とか地域を活気溢れるようにしたい」という住民たちの強い思いとともに 、10年に渡って何十回ものワークショップを重ね、地域の振興をはかる集落経営構想により、オーベルジュ土佐山は生まれました。
——— 細木先生は、高知県生まれとのことですが、土佐山とは、どのように関わることになったのでしょうか?
細木 その当時土佐山に住んでいた友人の西村憲一さんが、「若竹まちづくり研究所」のメンバーの一員として、地元である中川地区のまちづくり事業に関わっていました。その中で、建築の専門として声をかけられたのがきっかけで、話を聞きに行くようになりました。週に1回か2回、夜に地域住民たちと話をしていましたね。
温泉を活用して、
中川地区を活気溢れる地域にしたい。
——— どのようなお話だったのでしょうか?
細木 元々は地域に温泉があるとのことで、 住民用のお風呂と集会所をつくるという小さい規模の計画だったのですが、絵を描いて話をしていく中で、それだけでは淋しいねとなり、食事をする所もつくって外からも人を呼ぶべきだとなったんです。それで、もう少し大きな規模の案をつくって議論を重ねていったのですが、やっぱり泊まるところも必要ではないかとなり、どんどん大きな計画になっていきました。最終的には今くらいの規模の想定になったのですが、予算が当初の100倍くらい必要になってしまった。 みんなのムードも盛り上がっていましたし、自分たちだけではなく、役場や村長も巻き込んで一緒になって検討してもらうことになりました。
——— それまで役場は関わっていなかったということでしょうか?
細木 最初はそうですね。全く関わっていなかったわけではないですが、地域住民主体で話は進んでいました。
——— ということは、元々は行政からの依頼ではなく、中川地区のみなさんからの依頼だったということですか?
細木 そうです。最初、僕らはボランティアとして関わっていたのですが、具体的に計画が進むことになり、正式に役場からの委託を受けることになりました。そして、 基礎設計をして、建てるまでの準備が整ったのですが、誰が運営の責任をとるのかとなったのです。初めは地元で運営することになっていたので。それが、誰も手をあげなかったんです。 そこで実は一度全部ポシャったんですよ…。
でも役場がこれではいかんと、民間企業の委託先をみんなで探し始めて、僕の方でも当たり始めたんです。それで、つながりのあったオリエントの社長*2 に話を持ちかけたところ、とても興味を示したので、村長に紹介をしたんです。そこからオリエントが関わり始めました。オリエントが入ったことで、彼らの意見も取り入れ、改めてワークショップをみんなでしながら、イチから計画を練り直しました。それが、今の形になりましたね。
*2 オーベルジュ土佐山の運営を担う、オリエントホテル高知株式会社、当時の社長・谷脇萬明氏。
——— 当初の計画とは、大きく変わったのですか?
細木 変わりましたね。最初は、一体型のひとつの建物だったんです。それをバラバラにしました。僕も田舎でこんな大きな箱を作ってもどうなのかと、どうもしっくりきていなかったので、僕から作り直しませんかと言ったのかもしれません。そして、敷地に合わせた形で、小さい固まりを集めたものの方が、自然の中には合うのではないかとなりました。
今までの積み重ねが、一気に花開いた。
——— 20年経つ今も、斬新な現代的デザインと自然素材が融合した趣のある空間が大変印象的なのですが、そのインスピレーションはどこから得たのでしょうか?
細木 東京にあるようなものをここに建てても意味がなく、地域性を大事にしたいと思っていたので、僕らがずっと取り組んできていた「土佐派の家」*3 の手法はどうかと提案をしました。そして、土佐の材料を使いながらも、新しさを感じる空間をつくろうとなったんです。それまでも、土佐素材だけではなく、銅板を使ったりと、新しい手法を徐々には試してきていたので、今までの積み重ねが花開いた。僕自身がやりたいと思っていたことが実現できる場面を一気に与えてもらえ、想いを発揮できた。その当時スタッフも10人程いて、3ヶ月というものすごいスピードで設計を仕上げたんです。インスピレーションが働いて、どんどん新しい発想が湧きましたね。
*3 土佐杉・桧、土佐漆喰、土佐和紙など地元の自然素材をふんだんに使い、伝統的な技法に現代的デザインを融合させ、百年以上住める健康的な家づくりを目指す建築文化運動。
細木 それと僕らはずっと高知県の中で活動してきていたけれども、家具のディレクションをしたチェリア・小坂博信さんが、その当時すでに日本中や海外と繋がっていて、新しい情報をいっぱい知っていたんです。彼から色々な知識を得て、刺激を非常に受けましたね。あと書家の沢田明子さんや、ガラスアートの辻正昭さんという芸術家たちと一緒につくり上げられたことが大変面白かった。
(左: 客室内にある書家・沢田明子さんの作品。右: ダイニングにあるガラスアート・辻正昭さんの作品。)
本物の素材を使うことが、一番のこだわり。
——— 設計をする際に、一番大切にしていることは何ですか?
細木 素材ですね。本物の材料を使うこと。木や漆喰などもそうですが、オーベルジュ土佐山の屋根材には、天然スレートという石を使っています。たとえ高級な物ではなくても、本物を取り入れることで、 いつまでも飽きの来ない持続的で耐久性の高いものをつくることができる。
——— 本物だからこそ、不自然さは全くない居心地の良さを感じることができるのでしょうね。
細木 床には、大谷石を使用していて、決して高価ではないが本物の素材を取り入れています。一般的な御影石とは違って、大谷石は柔らかいので、オーベルジュ土佐山の空間にはむしろ合うだろうなと思いました。
——— 今まで積み重ねてきた知識があるからこそ、こういったアイデアが出てくるのですね。オーベルジュ土佐山の中で一番好きな空間はどこですか?
細木 やっぱり入り口のロビーが、一番気持ちいいと思いますね。
とにかく面白くて、前へ前へ。
——— オーベルジュ土佐山をつくり上げていく過程で、心に一番残っているのはどんな場面でしょうか?
細木 色々な場面が思い出されるけれども、物をつくるのにあそこまで情熱をかけて、こんなに面白いと思ったことはそれまでなかった。最近は、苦しいこともあるけれど、あの時は苦しいという意識は殆どなかった。とにかく面白くて、前を向いていましたね。
——— 今苦しいと思うのは、どういう時なのでしょうか?
細木 今は世襲が難しくて…。 情報社会で世間の知識も増え、比較も出て来ているので、物事の進め方が複雑になってきてしまった。それでは、いいものはできない。モノづくりは、直感やインスピレーションで決めるという、瞬間の判断力が大事。それと法律もややこしくなって、今は自由なモノづくりをやる環境があまりなくなってしまった。
——— その当時は、土佐山村の時代でしたから、地域のみなさんの意識がより一つとなって、未来に向けて同じ夢を持っていたからこそ、力強く一気に前へ進めていけたのですよね。
細木 まさに、そうなんです。
——— 今年は、オーベルジュ土佐山開業20周年ということで、これからの10年を考えた時に、何か思い描いていることはありますか?
細木 出来れば建物の維持をして、磨きをかけて、いい年の取り方をさせていきたいなと思いますね。
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< お話をうかがった人 >
細木 茂(ほそぎ しげる)
1947年高知県生まれ。細木建築研究所 代表取締役。
自然素材を、その土地の気候、環境を考慮に入れ、その建築にもっともふさわしい形態、空間に変換させることを心がけ、新しさと伝統、両者ともの感性を取り入れ 最善の建築を志している。日々の中で幸せを感じる時は、どんな空間にするのかを描くディテール作業をする瞬間。
TOSAYMA KONOHITO KONOTOKUSAN